7月12日、35名が参加して中世の自治都市といわれる大阪の平野を歩きました。
1584年に宣教師のフロイスの書簡にも紹介された「平野郷」は、実は坂上田村麻呂の子、広野麿の領地だったと伝えられる古い歴史のある町です。
JR平野駅を降りて、まずは融通念仏宗大本山の大念仏寺へ。大阪府下最大の木造建築物の本堂はあいにく大修理中で内部の見学はできませんでしたが、境内のあちこちで中世の雰囲気をしっかり感じ取ることができました。お寺を出た門前で、幸いにも次に行く杭全神社の夏祭りに奉納されるだんじり(馬場町)に遭遇、粋な法被姿の町衆によって走行していました。
たくさんの出店で賑あう杭全神社にお参りのあと、北隣の深い緑につつまれた園地で昼食のお弁当、時の経つのも忘れるほどおしゃべりタイムを楽しみました。その後は、中近世の平野環濠跡の掘割道を歩いて全興寺へ。ここでは首の地蔵尊にお参りのあと地獄堂と極楽堂へ。次いで平野本通商店街の明治時代に建てられた旧新聞販売本舗ビルを見て長宝寺に。秘仏の閻魔大王は拝観停止中でしたが、本堂廊下でアニメ風のえんま君に会いました。ここからまた商店街を歩き一般道路に出てすぐ地下鉄谷町線平野駅に。そこで解散となりました。
今日は猛暑にもかかわらず、全員熱中症にもならず無事帰途につきました。
(この記事と写真は全て大貫さんによるものです。ありがとうございました。)
平野駅前での説明会。
古い街並みを大念仏寺へ。
修理中の大念仏寺
大念仏寺境内の蓮の花
馬場町のだんじり(その1)
馬場町のだんじり(その2)
杭全神社の大鳥居と祭の出店
杭全神社本殿
平野環濠濠跡の石碑
古い写真館の建物
全興寺地獄通用門
全興寺本堂にて全員集合
明治の新聞販売舗の建物
長宝寺山門